« 我が家にテレビ!! | トップページ | ブログ お陰様で!! »

2008年12月15日 (月)

天地人 『直江兼続』 情報!!

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ←ポチっと押してね!

『篤姫』も最終回を迎え、いよいよ『天地人』の放送を待つばかりとなりました。

予告編を見ましたが個性的な俳優ばかりで、妻夫木聡が演じる「直江兼続」の生き方やその周りの武将達も今までと違った見方ができるような気がします。

ということで、今日は『天地人』の主人公となる「直江兼続」という人物を紹介します。

永禄3年(1560年)、樋口兼豊の長男として生まれ、幼名を樋口与六

上杉謙信の養子となった景勝に従い春日山城に入り、小姓・近習として仕えたとされています。

天正6年(1578年)の「御館の乱」では父兼豊と共に景勝方に付きました

「御館の乱」とは謙信の死後、二人の養子である上杉景勝(実父は長尾政景)と上杉景虎(実父は北条氏康)の家督相続争いです。

天正9年(1581年)、景勝の命で直江景綱の娘で直江信綱の妻であったお船の方の婿として結婚し、跡取りのない直江家を継いで越後与板城主となる。

以後、上杉家では兼続狩野秀治の二党体制を築きます。

豊臣政権時代には天正11年(1583年)に山城守を称するようになり、

天正12年(1584年)末から狩野秀治が病に倒れると、兼続は内政・外交の取次のほとんどを担うようになります。

秀治の死後、兼続は単独執政を行なうようになります。

当時の家臣たちは、景勝を「御屋形」、兼続を「旦那」と敬称し、事実上、二頭政治に近いものであったようです。

そして天正15年(1587年)、新発田重家討伐で武功を挙げ、翌年には時の関白太政大臣豊臣秀吉から『豊臣』の姓を授けられます。

(当時は「源平藤橘」が主流だったと思います。)

天正17年(1589年)の佐渡征伐、天正18年(1590年)の小田原征伐では景勝に従い、関東諸城を攻略し、文禄元年(1592年)からの朝鮮出兵においても、景勝と共に参陣して武功を挙げました。

また内政では上杉領となった庄内地方においても大宝寺城の改修や、一揆の制圧などを取り仕切りました。

天正23年(1595年)1月、景勝秀吉より、佐渡金山の支配を任せられると、兼続はその代官となります。

慶長3年(1598年)、秀吉の命令で景勝が越後から会津120万石に加増移封されると、兼続には出羽米沢に6万石の所領を与えられています。

~つづく~

一度では書き足りないので続きはまた後日書きます。

12月5日の記事の『天地人』では配役も書いてますので、誰が何役をやるのか見比べるのも面白いですよ!!

にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 30代オヤジへにほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 北海道情報へ

↑↑ランキングに参加してます!!

押していただけると励みになりますので応援よろしくお願いします!!

|

« 我が家にテレビ!! | トップページ | ブログ お陰様で!! »

映画・テレビ」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 我が家にテレビ!! | トップページ | ブログ お陰様で!! »