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2009年3月 7日 (土)

天地人 『与七』

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天地人ももう2ヶ月が過ぎ放送も10回を迎えますね!!

前回では謙信公もなくなり、これからお家騒動である『御館の乱』に入っていきます。

今日は直江兼続の弟、『与七』についてです。

ドラマでは小泉孝太郎が演じています。

永禄5年(1562年)、樋口兼豊の次男として生まれ、後の天正10年(1582年)、天神山城主小国重頼の養子となり小国氏の家督を相続します。

このとき、景勝の命により、苗字を小国から大国と改め、『大国実頼』(おおくにさねより)と名乗ります。

ちなみに小国氏は摂津源氏の流れを汲む源頼行(源頼政の弟)を祖とする一族で、頼行の孫である源頼連が鎌倉時代に越後国小国保(新潟県長岡市小国町)の地頭となり小国氏を称した由緒ある家柄です。

天正14年(1586年)、新発田重家の乱では新発田重家討伐に参陣し新潟城を焼打ちにし、また豊臣秀吉の聚楽第新築のときには上杉家の使者も務めました。

この頃は頻繁に上洛し、木戸寿三と共に連歌会に多く参加したり、天正19年(1591年)には連歌師里村紹巴の催す連歌会にも度々参加し、実頼は『米府侍組由緒』には「能書、連歌の上手」と評されています。

慶長3年(1598年)、上杉景勝の会津移封に従い南山城代とし2万1000石を与えられました。

そして慶長5年(1600年)に景勝徳川家康と対立して会津に神指城を築城しようとしたとき、兄の兼続と共に普請奉行を務めて功を挙げています。

関ヶ原の合戦後、羽前高畑城7000石の城代となりましたが城には移らず、上京して伏見に滞留。

慶長9年(1604年)、実兄直江兼続本多政重(本多正信の子)との養子縁組に反対し、政重の迎えに上京した使者を伏見宿にて殺害し高野山に逃れました。

以後、高野山に隠遁していましたが兼続の死後、米沢北郊の中小松村に戻り元和8年(1622年)に死去。(享年61)

実頼の死後、大国家は断絶しますが、実頼の弟の樋口秀兼の子である光頼を養子に迎える形で大国家を再興しています。

娘の阿虎実頼出奔後、兄の直江兼続が預かり、慶長14年(1609年)に兼続の養女として本多政重に嫁して、後に加賀で没しました。

余談ですが、王子製紙会長であった大国昌彦氏は大国家直系の末裔にあたるそうです。

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