« 焼きいか!! | トップページ | 花畑牧場の!! »

2009年5月17日 (日)

天地人 『石田三成』

にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 30代オヤジへ

さて今日の天地人は『秀吉の罠』ということでいよいよ舞台は越後から京・大坂となっていきますね!!

そして兼続の盟友石田三成も本格的に物語に登場してきます。

そこで今日は小栗旬演じる『石田三成』について書きます。

永禄3年(1560年)、石田正継の次男として近江国坂田郡石田村(現滋賀県長浜市石田町)で生まれで、幼名は佐吉といいます。

羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が織田信長に仕えて近江長浜城主となった天正2年(1574年)頃から秀吉の小姓として仕えます。

この時の逸話の三杯の茶はあまりに有名ですよね!!

天正10年(1582年)6月、信長「本能寺の変」により明智光秀に討たれ、次の天下人として秀吉が台頭すると、三成秀吉の側近として次第に台頭していきます。

天正11年(1583年)、賤ヶ岳の戦いに従軍の際、柴田勝家軍の動向を探る偵察行動を担当。

また天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いにも従軍し、同年近江国蒲生郡の検地奉行を務めました。

秀吉政権下での三成は天正13年(1585年)7月11日、秀吉の関白就任に伴い、従五位下治部少輔に叙任されます。

また、同年末に秀吉から近江水口4万石の城主に封じられました。

この時、当時智勇兼備の名将として名高かった島左近を4万石のうちの半分の2万石の知行を与えて召抱えたといわれています。

この件は原哲夫作のSAKON(左近)-戦国風雲録-が面白いですよ(*^-^)

同年、越後の上杉景勝秀吉に臣従を誓うために上洛してきたとき、これを斡旋しました。(今日の天地人ですね!!)

後に九州征伐や四国征伐などに従軍しましたが、兵糧・武具などの輜重を担当していたと言われています。

文禄元年(1592年)、朝鮮出兵(文禄の役)が始まると朝鮮に渡海し、増田長盛大谷吉継とともに朝鮮出兵の総奉行を務めます。

文禄2年(1593年)、碧蹄館の戦い、幸州山城の戦いに参加。

その後明軍の講和使謝用梓徐一貫を伴って肥前・名護屋に戻るなど、明との講和交渉に積極的役割を果たしています。

しかし、秀吉と現地の連絡役という立場の行動は、豊臣家中で加藤清正福島正則ら武断派の反発を招くことになりました。

そして慶長2年(1597年)、慶長の役が始まると再び明・朝鮮との講和交渉に奔走しますが不調に終わりました。

慶長3年(1598年)8月、豊臣秀吉が死去すると、朝鮮に在陣していた諸大名の撤兵に尽力したと言われています。

以上が豊臣政権下での三成の略歴で、その後「関ヶ原の戦い」では家康を排除すべく、上杉景勝直江兼続らと密かに挙兵の計画を図るなど、これからの『天地人』の後半あたりにも大きくかかわってくると思うので、秀吉死後の三成はまた後日改めて書きます(*゚ー゚*)

にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 30代オヤジへにほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 北海道情報へ

↑↑ブログ村ランキングに参加してます。

一日一回押していただけると励みになります!!よろしくお願いします(*゚ー゚*)

|

« 焼きいか!! | トップページ | 花畑牧場の!! »

映画・テレビ」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

コメント

kinanpoさま
島左近!
戦国武将の中では大谷吉継と共に好きな武将の一人です。
三成が惚れ込んだのが良くわかります。
この時代は魅力的な武将がいますね。
お薦めの本、機会があったら読んでみたいですね!

黒田官兵衛・蒲生氏郷もいいな~

投稿: atymu | 2009年5月23日 (土) 17時16分

ayumuさん>そうですね!好きな武将をあげたらきりがないですよね
戦国時代をわかった上での仮説本の類も面白いですよ(゚▽゚*)

投稿: kinanpo | 2009年5月24日 (日) 10時34分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 焼きいか!! | トップページ | 花畑牧場の!! »