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2009年6月 7日 (日)

天地人 『真田幸村』~続き

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先日の『真田幸村』の続きです。

前回は九度山に配流させられたところまででしたので、今日は大阪城入城からです。

慶長19年(1614年)「方広寺事件」をきっかけに徳川氏と豊臣氏の関係が悪化、大名の加勢が期待できない豊臣家は浪人を集める策を採り、九度山の幸村の元にも使者を派遣します。

「方広寺事件」とは、この鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の銘文が徳川家康の“家”と“康”を分断し豊臣を君主として、家康および徳川家を冒涜するものとみなされて、大阪の役による豊臣家滅亡を招いたとされています。

幸村は国元にいる父・昌幸の旧臣たちに参戦を呼びかけ、九度山を脱出して子の大助幸昌とともに大坂城に入城しました。

しかし幸村自身については、それまで真田氏の次男坊として父・昌幸や兄・信之の名声に隠れていたために評価は低く、徳川家康昌幸ではなく、その息子で無名の幸村が大坂に入ったと知り安堵の表情を浮かべたとされています。

そして慶長19年(1614年)に始まる大坂冬の陣幸村は、当初籠城に反対し、京を抑え、宇治・瀬田で積極的に迎え撃つよう主張しました。

しかし籠城の策と決すると、幸村は大坂城の弱点であった三の丸南側、玉造口外に真田丸と呼ばれる土作りの出城を築き、鉄砲隊を用いて徳川方を挑発し先方隊に大打撃をあたえました。

この真田丸を造る際、大坂方の他の武将は幸村が徳川方に寝返るための下準備と疑っており、少々ながらも警戒していました。

しかし、この時は越前松平勢、加賀前田勢等を撃退し、真田昌幸の息子という扱いではなく、初めて“真田幸村”として、その武名を知らしめる事となります。

冬の陣の講和後、この真田丸は両軍講和に伴う堀埋め立ての際に真っ先に取り壊されてしまいました。

そして大坂方の弱体化を謀る家康は慶長20年2月に、使者として幸村の叔父である真田信尹を派遣し「信濃の中で一万石を与える」事を条件に寝返るよう説得しています。

しかしこれを幸村が断わると、家康は再び信尹を使者として差し向け、今度は「信濃一国を与える」と説得に出ました。

これを聞いた幸村は「一万石では不忠者にならぬが、一国では不忠者になるとお思いか」と再びはねのけたといいます。

翌年の大坂夏の陣では、道明寺の戦いにおいて、伊達政宗隊の先鋒を銃撃戦の末に一時的に後退させました。

これら度々の勝ち戦により、次第に徳川軍も真田軍への攻撃を自重せざるを得なくなり、幸村はそれを見て堂々と大坂城に一時撤収します。

しかし豊臣軍は後藤基次木村重成などの主だった武将が討死し、疲弊していきました。

幸村は士気を高める策として豊臣秀頼自身の出陣を求めましたが、側近衆や母の淀殿に阻まれ失敗します。

豊臣氏の敗色が濃厚となる中、幸村は最後の作戦として、豊臣方右翼として真田軍、左翼として毛利勝永軍を四天王寺・茶臼山付近に陣形し射撃戦と突撃を繰り返し徳川軍の陣形に対し本陣を孤立させ、明石全登の軽騎兵団を迂回させ家康本陣を横撃させるというものでした。

しかし毛利隊の前面諸将が勝手に射撃を開始してしまったため、作戦を断念せざるを得なくなりました。

そして正面から徳川家康の本陣めがけて決死の突撃を敢行します。

この突撃は真田勢のみではなく、左翼から攻める毛利勝永明石全登らも奮闘し家康本営に肉薄し、勝永は本多勢を蹴散らし、何度か本営に突進したといわれています。

真田勢は越前松平勢を突破し、家康の本陣まで攻め込み、屈強で鳴らす家康旗本勢を蹴散らしました。

しかし、最終的には数で勝る徳川軍に追い詰められ、越前松平勢鉄砲組の西尾仁左衛門宗次にその首を討たれました(享年49)。

幸村討死の翌5月8日、豊臣秀頼淀殿母子は大坂城内で自害、秀吉の誇った大坂城も炎上し落城、ここに大坂夏の陣は徳川方の勝利に終わりました。

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コメント

おひさしぶりです。真田幸村が大阪の陣でどう、描かれるかたのしみですね。兼続が徳川に従うわけだから、この時は敵同士になるわけですから、かなり、複雑な気持ちになりそうですね。

投稿: takepon | 2009年6月18日 (木) 10時55分

takeponさん>そうですね!!
ただ今回の「天地人」は終わりどころが分からないですね~。
関ヶ原の戦いまでなのか、米沢減封後なのかどうなんでしょう?
そして、前田慶次朗は出てくるかどうかも楽しみです

投稿: kinanpo | 2009年6月18日 (木) 19時22分

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