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2009年8月11日 (火)

天地人 『小早川秀秋』

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先日の『天地人』では、初めて上路雄輔演じる『小早川秀秋』が出てきましたね~!!

なんだか後半に入ってからは展開が早いような気がします。

この小早川秀秋『関ヶ原の戦い』ではとても重要なカギを握る人物です!!

出生は豊臣秀吉の正室寧々の兄、木下家定の子で幼名を辰之助。

元服時の初名は木下秀俊といいます。

後に羽柴秀吉の養子になり羽柴秀俊と名乗り、天正17年(1589年)、病死した豊臣秀勝(秀吉の甥で秀次の兄)の旧領地・丹波亀山10万石を与えられます。

文禄3年(1594年)、秀吉の命にて小早川隆景(毛利元就の三男で輝元の叔父にあたります)の養子として小早川家に入りました。

関ヶ原の戦いでは最初は西軍に参戦してますが、一説に当初から東軍と内通していたとも言われています。

このため石田三成大谷吉継らは、秀秋の行動に不審を感じ、関ヶ原の合戦の前に西軍勝利の暁には豊臣秀頼が成人するまでの間、関白職への就任を約束するなどして西軍への残留工作を行っています。

ですが秀秋家康との間に密約があったとされる説もあり、合戦時には西軍に布陣はしていたものの秀秋の心は東軍にあったとされています。

しかし、午前中の戦況は西軍有利に推移しており秀秋は東軍参加を躊躇。

それにいら立った家康は何度も使者を送って西軍への攻撃命令を下すものの、軍を動かさない秀秋に対し威嚇発砲させました。

(この件はけっこう有名な話ですよね!!)

それに動揺した秀秋はついに東軍への加担を決意、合戦の戦況も東軍へと傾いてきました。

合戦は東軍の勝利となり、家康から岡山55万石に加増され、この頃より小早川秀詮(ひであき)と名乗るようになります。

そして、21歳で死去していますが、その死因については今でも様々な説があるようです。

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